落ち穂拾い

「『落ち穂拾い』どうしようか」と話をしていたら、その議事録的なmailに「落ち葉拾い」と書いてて目が点になった。文脈からすると「落ち穂拾い」の事らしいが最初意味が分からなかったのだ。当の発信者は「ずっと『葉』だと思っていた」と言うし、比較的年齢の近い人もそのように言う。私と同世代以上は困惑した組なのだが、これは世代の差と言う奴なのだろうか。それにしても「たかねのはな」の例があるとはいえ「穂」と「葉」は違い過ぎるだろ、意味合い的に考えて…
言葉と言うものは「生き物」なので日々変化する。誤用や誤字がいつのまにか定着して「本物」になったりもある。もしかしたらこれもその一つなのかもしれんなあ、としみじみ思いつつ、意味の分からない言葉がそのまま「本物」として「居座る」と言うのも怖いものがあるなあ、と思った。